乳がん治療中に一番つらかったこと 脱毛した頭を見られる

乳がんが発覚してから現在まで、ホルモン療法を含めると5年の闘病生活になります。

その間、彼女はいろいろ傷ついたり、悲しんだり、悩んだりしてきました。

中でも、突発的に一番ショックを受けた事件が放射線治療中に発生したんですよね。

今回はそのことを記事にしたいと思います。

 

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副作用による見た目の変化を隠したい

抗がん剤治療の副作用で、彼女は髪の毛を含む全身の毛を失い、強い浮腫で顔がパンパに膨れました。

誰が見ても違和感のある見た目です。

やっぱり人に見られるのはつらかったようです。

最初の頃は、脱毛した頭を私にでさえ見られるのを嫌がりました。

髪が抜け切った後、最後の仕上げとして私が綺麗に剃りあげたのですが、その後は自宅にいても常に帽子を被り、外出するときはウィッグを装着して、とにかく頭を見られないようにしていました。

女性にとって髪は命と言ったりしますが、その髪の毛がない姿を見られるのはとてもつらいことなんですよね。

ただ、私といる時間は長いので、ウィッグや帽子で隠しているのもストレスになってきて、しばらくすると見せてくれるようになりました。

それでも私以外の人には徹底的に見られないようにしていました。

顔の浮腫は隠しようがないのであきらめていたようですが、脱毛した頭を見られるというのはなんとしてでも回避していました。

隠したい姿を人に見られるつらさ

抗がん剤治療が終わってしばらくしてから、彼女は放射線治療を受けるために実家に戻りました。

抗がん剤治療は現在住んでいるところの病院で受けましたが、放射線治療は再び地元の病院で受けることにしたからです。

放射線治療が始まるまでの数日は実家で両親と共に過ごしました。

脱毛した頭は両親にも、もちろん見られたくありませんでした。

しかし、母親は娘のことを心配して、彼女の身体がどのようになっているのかずいぶん気になる様子だったそうです。

だから、彼女が自室でくつろいでいるときに、時々こそっと覗きに来たりしました。

彼女としてはずいぶんストレスに感じたようです。

結局、両親に頭を見られることはありませんでしたが・・・・あくまでも彼女の自覚する限りはですけれど。

無邪気な子供の好奇心が残した傷

さて、放射線治療を受ける地元の病院は、実家から高速道路を使って2時間もかかる場所にあります。

当初は入院して受ける予定でした。

しかし病院が混んでいて、入院して受けるとなると、治療を始められるのが3ヶ月も先になってしまうとのことでした。

とはいえ、さすがに週5回、毎日2時間の道のりを通うのは無理ということで、病院と目と鼻の先にある彼女の姉の家に居候させてもらうことになりました。

姉夫婦の家には、男の子が2人いました。

小学校1年生と幼稚園の2人、彼女にとっては甥っ子です。

もちろん小さい時から知っていて、彼女にも懐いていました。

大好きな親戚のお姉ちゃんと、しばらく一緒に生活することができるということで、甥っ子にとっては嬉しい出来事だったようです。

ところが、彼女にとって困ったことに、甥っ子がやたらと彼女のウィッグに興味を持ったのです。

「お姉ちゃん、それとったらどうなるの?取って見せてよ」

と何度も彼女に迫りました。

自分の知っているお姉ちゃんの髪形とは違う、

頭にかぶっているものはなんだろう?

取ったらどうなっているんだろう?

なんの悪気もない、純粋な気持ちだったと思います。

おまけにやんちゃ盛りですしね。

彼女は怒ることもできず、しばらく適当にごまかしてスルーしていたそうです。

しかし、ある日のこと。

彼女が甥っ子を背にくつろいでいる際、突然甥っ子が彼女のウィッグを取ったのです。

「なにするの!!」

突然のことでパニックになりながら、彼女は声を荒げて甥っ子を怒鳴りつけ、ウィッグを奪い返しました。

「だって見たかったんだもん」

悪びれる様子のない甥っ子。

彼女は髪の毛が抜けてしまった頭を見られたショックで、すぐに姉の家を飛び出しひとりになりました。

許してあげるべきとわかっているれど、整理がつかない気持ち

飛び出した後、彼女は私に電話をくれ、ことの顛末を話してくれました。

その電話の声はひどく興奮していて、涙交じり精神的に不安定でした。

1時間ほど話しを聞いた後、陽が落ちたこともあり姉の家に戻るよう促しました。

すぐに行ける距離なら駆けつけるのですが、車で10時間近くかかる距離です。

とてもじゃないけれど行ってやれませんでした。

彼女は姉の家にはどうしても戻りたくないと言って、何時間も外をさまよっていました。

結局、その日は何とか姉の家に戻りましたが、翌日には彼女は姉の家を出て、実家に戻りました。

甥っ子と、その甥っ子がやった行為をとがめない姉を許せなかったのです。

なにも知らない子供に罪はなく、許してあげないといけないことは理解していました。

でも、今は心にそんな余裕はありませんでした。

乳がんの治療で精一杯、それに一番人に見られたくない姿、それを見られて精神的に落ち着いていられるほど、強くなれませんでした。

姉との関係に入ったひびが修復されるには、その後1年以上の時間が必要となりました。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

 

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